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記念館歴史

周恩来鄧頴超記念館の前身は天津での周恩来の青年時代を記念する革命活動記念館(青年時代館と略する)であります。1976年に周恩来が逝去された後、彼の輝いた実績を追想するため、中共天津市委員会、市人民政府は中共中央に申請し、周恩来が青年時代通った社会活動もしていた南開学校東建物で記念館を設立することになり、1978年3月5日に正式に開放になりました。革命家葉剣英に記念館の館名を書いていただきました。記念館の総面積は1386平方米で、建築面積は960平方米であります。
青年時代館に周恩来が通っていた教室と社会活動をしていた東四講室と理化講室が復元されています。内容は主に中学時代、日本留学、「五四」時期とヨーロッパ旅居の四つの部分に分けられています。
歴史写真、実物や文献などが400本ぐらいあります。この中に、大事な「五四」時期の歴史写真や周恩来の中学時代と「五四」運動時期に編集した新聞など非常に貴重な文物もあります。
青年時代館は成立してから20年間に200万人の観光者を接待していました。1992年に天津市政府に「天津市青少年教育基地」、また1994年に中共天津市委員会、市政府に「天津市愛国主義教育基地」と命名されました。1996年に国家教育委員会、文化部などの六部委員会に「全国中小学愛国主義教育基地」と指定されました。1995年に国連教科文組織から「国際科学と平和特別貢献賞」をいただきました。時代が進んでいて、事業も発展しています。経済が高速的に発展している今、それに応じての精神文明建設も高く求められている。
周恩来と鄧頴超は偉大な無産階級革命家、堅定的なマルクス主義者、共産党と国家の素敵な指導者でございます。彼らは中国人民の解放、新しい中国の創立、わが国の社会主義建設や偉大な共産主義事業に自分たちの一生を貢献し、全党、全軍と全国各族人民に深く尊敬されています。
周恩来と鄧頴超の少年時代は天津で過ごしていました。彼らはここで知り合って、恋に落ちて、一緒に革命の道に進んで、革命思想を伝播し、救国救民の真理を探していました。新中国成立した後、二人の偉人がずっと天津の発展に目を向け、何回も天津に来て指導をくださいました。彼らは天津を第二故郷にし、生前それぞれ遺言状を残して、遺骨を天津の海河にまき散らして、天津人民への特別な感情を表しました。
これから代々の人々にも周恩来と鄧頴超の偉大な実績や高尚的な徳を忘れないため、中共天津委員会、市政府は中共中央に申請し、周恩来鄧頴超記念館を成立しました。党と国家指導者たちが記念館の建設に非常に関心しています、江澤民に記念館に館名を書いていただきました。記念館建設期間に、李鵬、李瑞環などが現場に来て指導くださいました。周恩来鄧頴超記念館を建設するのは全市人民の共同の願いです。記念館の建設には総投資7800万元で、この中は社会人民からの1200万元の寄付金があります。記念館は1996年12月23日に建設し始め、全体建設者が二人の偉人への尊敬思いを持って、高温を我慢し、一年四ヶ月かかって、本建物の建設や陳列配布も含めて、速やかに高品質な記念館建設を完成しました。記念館は1998年2月28日に周恩来誕生100周年記念日の前に開放されました。夫婦であった二人の偉人のために記念館を創立するのは始めての案で、天津重要的な愛国主義教育基地にもなり、一つの天津を代表する近代文化施設になりました。
もともとの周恩来青年時代天津での革命活動記念館はキャンセルし、周恩来鄧頴超記念館に合併され、原住所は南開中学に引き渡しました。


住所:9日の南海区、天津ウォーターパークウェスト
電話:86-22-23592257 86-22-23591821 郵便番号:300074  

すべての権利を保有。   周恩来鄧頴超記念館
E-メール:zhoudengl@mzhoudeng.com