陳列展覧

鄧穎超の特定主題展示ホール

鄧穎超の特定主題展示ホール
時間:2015-12-13

「鄧穎超―20世紀の中国婦女運動の先駆」

第一展示ホール 革命戦争時代

五四愛国運動に一身を捧げる


         鄧穎超は清朝末年に生まれ、幼少時代に父を亡くし、母に伴い困難な流浪の生活の中、母は身を以てその自身の強さ、自立の手本を示し、彼女は徐々に成長していきました。鄧穎超は少女時代に救国を志し、「精神を振起し、国家の進歩を謀る」との誓いを立て、1919年に五四運動が勃発した際に、たった15歳の彼女は天津女界愛国同志会を発足、参加し、演説隊を組織し、愛国思想を宣揚しました。また、周恩来等と共同で天津進歩青年団体である覚悟社を創設し、天津学生運動の主要指導者の一人となりました。

婦女解放の道を探求する

        鄧穎超は直隷第一女子師範学校を卒業後、教鞭をとる傍ら、積極的に社会活動に参加し、天津に女星社等の婦女進歩組織を発足させ、婦女問題に関する刊行物の創刊にも参与して、婦女解放の思想を宣揚し、婦女解放の道を探求し続け、婦女の切実な権益を多大に獲得・保護するために全力を尽くしました。1924年、鄧穎超は中国社会主義青年団に加入し、1925年に中国共産党員となり、中国共産党天津地区委員会婦女部長に就任し、それからは、彼女は生涯の精力を中国婦女の開放事業に捧げました。

各界婦女を団結させ、民族解放闘争に参加する

        抗日戦争が勃発後、鄧穎超は中国共産党の代表団構成員として、国民党統治区にて抗日民族統一戦線を積極的に展開し、各界社会人員と多くの婦女を団結させ共同で抗日工作をしました。抗日戦争に勝利後、国内の平和を得るために、彼女は辛苦を惜しまず、重慶、南京等の地を奔走し、党の平和建国主張を宣揚しました。解放戦争の時期には、鄧穎超は農村に深く入り込み、土地改革を推進し、解放区の婦女運動を指導しました。新中国成立を目前に迎え、彼女は中国婦女第一回全国代表大会を準備・主宰し、中国婦女解放運動の斬新的な段階へ推進することに貢献をしました。

第二展示ホール 建設改革時期


多くの婦女を国家建設に一身を捧げるように率いる

        中華人民共和国の成立後、鄧穎超は新中国第一部法律――《婚姻法》の起草を主宰し、公布・施行しました。また同時に、彼女は党の婦女工作方針の制定及び普及活動に積極的に参与し、婦女を社会主義建設に参加、婦女の合法権益保護を重視、婦女の特殊困難を解決するように指導し、比較的に早期段階で党中央に出産制限に関する意見を提出しました。彼女は常に工場、農村、学校に深く入り込み、調査研究を行い、現場に赴き各地の婦女の出産と生活情況について理解を深め、彼女たちに対して自尊心を高く持ち、能力を習得し、国家建設のために一身を捧げるように激励しました。

国際婦女運動と結合する新局面を開拓する

        鄧穎超は国際民主婦女連合会の委員理事として、中国婦女の国際的地位の向上、中国婦女と各国婦女の友誼を促進、及び世界平和運動の推進のために過多な工作を行いました。彼女は世界各国の婦女団体と幅広く関係を築き、友好関係を展開し、国際婦女会議及び重大な活動に積極的に参加し、各国婦女代表の来訪を接待し、世界婦女運動の発展のために貢献しました。彼女は、自身の傑出した才能と高尚の品格を以て、各国の婦女の尊敬の念を得ることになりました。

婦女工作を生涯の責任とした

        1983年6月、鄧穎超は第六回全国政治協商会議主席に当選し、具体的な婦女連合会の工作には従事しませんでしたが、まだなお婦女解放事業を自らの務めとして、多くの婦女の自覚を高め、知識を増加させ、教養を高めるように激励し、改革開放と現代化建設のために最大の力を以て貢献しました。彼女は、婦女運動における経験を総括することを非常に重視しており、婦女運動史の研究工作のために基盤となる基礎を築きました。彼女は、自身が生涯をかけて奮闘した婦女工作の職務に対して、溢れる情熱を持っており、一度となく「婦女工作に対する関心と責任は、私の生命が尽きるまで終わりません」と言い続けていました。


住所:天津市南開区水上公園西路9号
電話:86-22-23592257 86-22-23591821 郵便番号:300074  

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